ラジオとわたし

ラジオ。
小学校5年生の頃から、何をきっかけにしたのかは覚えてないんだけど、ラジオを聞き始めた。
最初は日曜の夕方にニッポン放送でやってた鈴木あみの番組を聴いてて、そこから番組欄を食い入るように毎日見始めて。
ラジオっ子といえばオールナイトニッポンだけど、その頃はまだ自分の部屋なんてモノはなくってさ。深夜の番組を起きて聴くわけにもいかないし、カセットテープじゃ2時間の番組は録音できないし。悲しかったなー
中学2年くらいに引っ越して、自分の部屋が出来て、完全にラジオに生きるようになった。
オールナイトニッポンはもちろん、JUNKだって、アニラジだって、いろいろ聴いた。


聴いてるうちに、わたしもラジオの向こうの人とつながりたいなぁって思うようになって、自分を発信したくなった。
携帯も、自分のパソコンも持ってなかったから、メールできなくて。FAX送ってたなぁ。なつかしい。
今も、当時のニッポン放送のFAX番号ソラで言えるよ。トウキョウ03…
でも全国区のラジオで読まれるなんてことはなくって、せいぜい地元のローカルラジオ局で読んでもらえるくらい。
誰にも言えない悩みもかけた。ちょっと、嘘ついたこともあった。
初めてとどいたノベルティは、三角堂の手ぬぐいとステッカー。流さんの声、大好きだったなぁ。


中3が全部のピークで。
aikoのぬるコム最終回はさみしくてさみしくて、うたえあいこで泣いて、いままでありがとうって気持ちをどうしてもとどけたくていっぱい描いたスケッチブック送った。
aikoに届いたのかなぁ。
くりぃむしちゅー上田の、知ってる24時って番組に電話で出たりしたな。私立受験の前の晩で、クイズに出たんだよね。
結局クイズはずれたんだけど、なまえ入りでサインとどいたし、上田とふつーに喋れたし、なんだかんだ私立はちゃーんと特進に受かったし、ラジオの裏側をちょっと知ったし、楽しかったな。
あのころ一番ラジオが好きで、絶対放送作家になろうって思ってたなぁ。


高校はいったらいそがしくなってラジオ聴けなくなった。
大好きなaiko土屋礼央ポルノグラフィティ、ゆずなんかのオールナイトがおわっちゃってたせいもあるけど。
中学生のいきおいのまま、職人続けてれば良かったなぁって受験のとき思った。
そしたら、深夜に勉強がつらくて、成績の悪い自分に腹が立って、なにもかもいやになって泣くことが少なかったかもしれない。


なんてことを回想してるのは、今日ちょっとした嬉しい出来事があったから。
今すごく注目してる人がDJやるっていうから聞いてたラジオに、なにげなくメールしたら読んでもらえたのです。
あのメール送るときのドキドキ感。番組終了までずっときゅーんってするよくわかんない期待。ああ、懐かしい。
なんか届いたりしないかなー。
にしても、「本名オーケー!」ってかいたら「ラジオネーム、オーケーさん」っていわれたのはへこみました。


ちょっとラジオはまりそう。