ガッコの先生

学校の先生を始めて、2週間たった。
生徒が思ったよりもすごく賢くて、反応が良くて、すなおで、いい子で、ワタシが高校生の頃と比べ物にならないくらい、模範的生徒になっていた。
教えがいはあるが、果たして、これはこの子達のほんとの姿なんだろうか?ってずーーーっと思っている。


生徒指導の先生に、お前の学年が一番荒削りで個性が強くて面白くて賢かった、って言われた。
そういう目線から見ると、今の生徒はすごく小粒だと言われた。
そうなんだそうなんだ、わたしの言いたいことは、そういうことなんだって思っていた。


ちがうかもしんない。


自分の時代が一番面白かったって、調子に乗っているだけなのかもしれない。
この子達、もしかしたらすごい力を持っているかもしれない。
英語がすごく好きみたいだ。外国語に興味があるみたいだ。外国人と話がしたいと、おもっているみたいだ。テストの点数、いい点とりたいみたいだ。もっともっと、英語がうまくなりたいみたいだ。


「先生。英語、どうやったら喋れるようになる?どうやって勉強したらいいの?」
そうきかれて、こまったなぁって思っていた。
英語をがんばりたいって子と、好きじゃないし、喋りたくないって子が同居している教室。どういう授業をする?どうやって英語を話させる?学力を上げる?モチベーションをあげる?
テストの点を上げるだけの授業なら、かんたんだ。
そうじゃなくて、わたしが教えたいことは、英語はトビラを開けるカギなんだよってことなんです。
英語がわかれば、もっと面白いこといっぱいみれる。わたしは英語で、いっぱいおもしろい世界を見ることが出来るようになった。
世界のジョークを知って、日本のジョークを見直した。世界の文化を知って、日本の文化をもっと好きになった。


英語は仕事にするものではない。すくなくとも、ワタシに英語はツールでもなければ、目的でもない。
もう、わたしにとっての英語はあって当然のものなんだ。
英語がわかるから、本読むし、映画見る。外国人に偏見なくすごす。世界の平和が愛おしい。


英語を喋って、みんなにはもっと世界を愛して欲しい!
世界は愛であふれているんだ。
生徒に、愛を。世界にも、愛を。
明日からの授業は、ワタシにとってオリンピックである。
世界への挑戦である。